2016/01/09の朝一番で
島原武家屋敷と島原城を見学して、その後「雲仙岳災害記念館」を見学した。その事は
その1に書いたが、やっぱり興味のあるカメラ機材の事ももう少し詳しく書いておく。
定点と呼ばれた避難勧告地域内に居座った報道陣は火砕流を受けてお亡くなりになった訳だが、その時に溶岩に埋もれていたカメラ機材が十数年後に掘り出されて、この「雲仙岳災害記念館」に展示されている。
右は読売新聞の
AI Nikkor ED 800mm F5.6S(IF)。もちろんMFレンズです。
三脚はハスキーですかね。
しかし、ホコリくらい払ってあげて欲しい・・・
その奥は毎日新聞の
AI Nikkor ED 400mm F2.8S(IF)。これもMFです。
火砕流の熱で保護ガラスが放射状にひび割れている。
さすがに「報道のニコン」という感じだけど、ホントにそうなんだろうか?
1991年といえばNikonは超音波モーター内蔵の超望遠レンズをまだ持っていないために、スポーツ系カメラは白いレンズ一色の時期なのだが、相手が火山ならMFでも良いだろうということでニコンの旧型レンズが出動していたんじゃないかと想像してます。
これは別の場所に展示してあった日本テレビのTVカメラ。
被災14年後に掘り出されて中から取り出したテープを復元した、約6分の映像がこの雲仙岳災害記念館で再生されている。(映像は
こちらで見られます。)
このカメラが乗せられていた三脚がこれ。
カーボン三脚の脚部分の母材(マトリックス)のプラスチックが火砕流の熱で燃え尽きて、芯材のカーボン繊維だけが残っている。この当時はまだカーボン三脚の走りの頃なので相当高価なものだったと思うのだけど、さすが日本テレビですね。
NHKのTVカメラ。
これは比較的原型をとどめている。
テレビ朝日のTVカメラ。
本体部分はほとんど溶けてしまっている。
フジTVは避難して無事だったらしい。
なぜフジTVが避難していたのか検索してみたけど出てきませんでした。不思議だ。
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道の駅「みずなし本陣」■この2015/12/23〜2016/1/25の34日間の山陰・九州旅行のIndexは
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